私は、理学博士をとったが、ポスドクとして研究の道に進まず、就職もせず、いまは夫と暮らしています。
要は主婦です。
なぜこんな私が、博士まで取るに至った経緯と、取った後なぜ研究職に進まなかったのか、そういったことを書こうとおもったきっかけは、私が博士課程中に感じた孤独感と、博士をとった地を去ったその日に届いた一通のメールです。
孤独を感じた博士課程
博士の最終学年だった当時の私は、かなり精神的に追い込まれていました。
前任者のミスによりすべて無意味になった10か月分の実験結果、助言をくれない指導教官、研究室をネカフェのように使う後輩、やれどもやれども出ない実験成果、、、
周りの人は結果がでているのになぜ私はでないのか、
どうしたらがんばれるのか、
どうやったらここから抜け出せるのかわかりませんでした。
とても孤独を感じていました。
博士卒に関することを検索しても、
博士は修士よりも就活が難しい、
会社からあまり好まれない、だとかネガティブなものばかり。
博士課程の経験談が書かれているブログも両極端でした。
成果をばんばん出し、華々しい研究ライフを送っているめちゃくちゃ優秀な人の話か、
つらい研究室生活を送り、研究室に行けなくなり、うつ病になり今もなお研究室で負った苦しみと闘っている、というような苦しい話。
少なくとも私が検索したときは、そういった両極端なものしか見つけられませんでした。
だから、そういったものを目にして、
ほかの博士課程の人も苦しんでるんだから、こうやって苦しむのが当然なのだ。
この苦しみを乗り越えられない自分がおかしい。
もっとがんばらなければ。
でも頑張り方がわからない。
途中で辞める=負け
成果を出していない自分=頑張りが足りない
博士課程中の苦しみ=当たり前
と思ってしまうようになり、
ついには、自分はこの世界(研究職)でしか生きていけないのに、
研究成果が出せない自分は、生きる価値などないかもしれないと思っていました。
幸い私の場合、
もうだめだ、となったときに
夫や別の研究室の先生方が手を差し伸べてくれたので、
死を選ばずに済みましたが、
あのまま誰も助けてくれなかったら、
自分はどうなっていたのか、正直わかりません。
引っ越しの日、届いた一通のメール
何度も心が折れながらも、なんとか博士を取得し、
自分の意思で一旦研究から離れることを決断し、
夫のいる地で暮らすために引っ越しの作業を行い、引っ越しの日となりました。
博士号を取得した土地を離れたその日、1通のメールが届きました。
それは、別の研究室に所属していた、私よりも2つ下の当時博士1年生の学生の自殺を知らせるものでした。
彼は別の研究室に所属していた人で、たまにセミナーで会う程度で、直接的に関わりがあったわけではありませんでした。
私はそのメールを見て、胸が締め付けられました。
私は助かった側だったんだと思いました。
もし、彼が誰かに相談できていたら。
死を選ばずに、別の道を歩むことができていたら。
私は、高校の時から研究者になることを目標にしてきて
それだけを考えて突き進んできたけれど
最終的にその道を選ばずに別の道を選びました。
決断した当初はすごく葛藤したけれど、
1年半経って、この選択でよかったと思っているし、
なにより生きることをあきらめなくてて本当によかった。
私が博士課程中苦しかったときにかけられた言葉や、
どうして博士課程中に自死をせずに踏みとどまることができたのか
そういったものを記しておくことで、
研究生活に追い込まれて孤独を感じている学生の皆さんの目に少しでも留まって、
こんな人間でもなんとかなっているから、
いま死ぬんじゃなくて、
博士続けてみようかな
あるいは
博士辞めて別の道進もうかな
そう思ってくれたらなと思います。
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